2006年1月19日,翻訳:森 美保,医師校閲:松尾秀徳
2016年9月18日 本サイトにアップ

PSPと診断されて
ブルース・サンダーソン博士

訳注:初出はPSP Advocate Third Quarter, 2000, Vol.11, No.3
Distributed by:Society for Progressive Supranuclear Palsy


序説

私の名前はブルース・サンダーソン,52歳です。1999年11月に進行性核上性麻痺(PSP)と診断されました。それまでの私は常に健康だと言われていました。定期的に運動し,健康的な生活を送っていたのです。前妻との間に息子が2人おります。ロンは22歳,ワイオミング大学で財政学修士号をとったばかりです。次男のデリックはウィスコンシンで前妻と暮らしています。デリックは16歳になったばかりで車の運転を始めました。高校では音楽,演劇,レスリング,サッカーの代表に選ばれました。2人とも自慢の息子です。

現在の妻ドナと私はカリフォルニアに住んでいます。私たちは連れ添って14年になりますが,妻はたちまちに介護者という役目を自らに課してしまいました。PSPに気づいたのは妻なのです。しかし,私は妻を信じませんでした。私ではなく周囲がおかしいのだと思っていたのです。1999年5月にラジオから流れる歌を口ずさもうとして,言葉が出ずに歌えないのに気が付きました(私は訳あって車の中でしか歌わないのです)。実はこの半年前にバランスがとりにくいと気付いていたのですが,年のせいだと思っていました。

PSPと診断された当時,フリートウッド・エンタープライズ社でモーターホーム部門の教育担当マネージャーをしていました。この職につく前は,米ニッサン社と米ホンダ社の教育チームにおりました。2000年2月以降短期傷害保険をもらっていますが,すぐに長期傷害保険に切り替えることになるでしょう。

教えることが私の情熱ですし,生きる目的でもあります。これまで地方大学3校で非常勤教授としてビジネスと教育を教えてきました。15年余り,パートタイムで教鞭をとってきたのです。教えることは学生らの手助けがあっても難しくなってきました。学生が私の病気を知ることとなり,かれらからも,仕事仲間や友人,経営陣からも同情されました。もちろん,カリフォルニアにいる妻ドナの家族やウィスコンシンの私自身の家族は献身的に支えてくれています。また,1人でいるのが何よりも嫌なので,メーリングリストやPSP協会といった多くの支援団体は私にとって大きな助けでありました。


あなたを助けるもの

私は,あなたは健康な人と何ら変わりはないと注意したいと思います。こう考えることがあなた自身のイメージ,希望,治癒に大変重要だと思います。この病気の本質に負けてはいけません。私はいつも自分のことを「病気と診断された」と表現し「病気だ」とは言っていません。それは「自分は病気だ」とは言いたくないからです。病気が進行しても私は私であり続けます。私はどこへも行きません。私は他の問題や好機があればそれと進むのと同じように,PSPと共に前に進みます。病気だとか,病気を遠ざけることができないという状態に自分を追い込んでしまいたくないのです。そうはいっても,医者と話し,医者の話に耳を傾けてはいますが。

また,現在していることをできる限り続けなさいとアドバイスしたいと思います。あなたの生活を完璧なものにする他の何かが見つかるまで,という意味です。こうすれば「どうして自分は今したいことをしていないのだろう?」と考えずにすみます。

私はずっと教鞭をとり,執筆をしたいと思ってきました。この2つの目標を中心にして引退後の生活を計画してきました。州立大学がある街に引越して教壇に立とうと考えてきたのです。教育者として働きながら,同時に執筆もするつもりでした。PSPは計画の変更を余儀なくさせました。言語障害と随意眼球運動障害のために教鞭をとる考えはあきらめました。また引退の時期も早まりました。もはや毎日教壇に立つのではなく,執筆活動を始めました。できる今が書くときなのです。先延ばしにすることはできません。

することが困難になって,あなたは現在していることを続けられず,やめなければならないかもしれません。そうして生活の変化を余儀なくさせられます。この病気はあなたにとって「働けない」という意味を持つかもしれませんが,それは同時に「したいことができる力がまだある」という意味であるかもしれません。何がしたいのかを決められるのは,あなただけです。

この病気を患うと,たいてい何をするにも時間が余分にかかります。楽しいと思ってやることの多くが,今までより余分な時間がかかります。私にとっていちばんの「チャレンジ」は,じれったいと思わず,いらつかず,焦らないように努力することです。できるペースでやらねばなりません。それを忘れると,転倒したり,PSPから来る他の症状に悩ませられたりすることになります。


よい点

もしあれば,この状況のよい点に目を向けましょう。私の場合は家族や友人,人々のありがたみを前よりもずっとわかるようになりました。私が経験したことは,それまでの快適な基盤を揺らげたのです。

この病気のために,私の親しい人にも負担が掛かっています。PSPは,私の親しい人たちの多くに,やりたいから私がこれらのことをしているわけではないと思い出させます。私は他人を助ける術を知りません,ただ他人に多くの選択肢を与え,理解しようとし,自己中心的にならず周囲の人を暗くさせないようにするだけです。私はこれまで以上に時間をかけて話をし,特に家族や友人の話に耳を傾けてきました。家族とも友人とも付き合いがまめになりました。返事を先延ばしにすることはもうありません。

もう一つのよい点は,将来計画していたことを現在に前倒ししたことです。私に残っているのは今日だけです。本当に,それは私たちすべてに言えることです。私たちが皆そうであるように,ただ,「今」に生きたいのです。生きて何かを変えたいのです。その考えは何ら変わっていません。ただ今の私にとって過去はあまり重要でなく,未来はやってこないかもしれないのです。


管理

私はこの病気を管理の問題だと捉えています。これからいい日も悪い日もあるとわかっています。朝や眠った後のほうが気分がよいことも知っています。それでもし夜に出かけるときは昼寝をしておきます。また飲み込みに集中できるように,食事をしながら読書をするのはやめました。そうすることで自分のしていることを忘れて,喉を詰まらせることが減りました。こういうことを管理テクニックだと思っています。どこが悪いのかを知っている分,状態は悪くなっているかもしれません。でも,理由を知らずに転倒したくはないのです。この病気はとにかく非常に恐ろしいものなのです。

まったく新しい戦略をとってはなりません。私はしませんでした。私はいつでも物事を書き留めておくのが好きでした。事実,私は自分の犬にまで時間管理セミナーをさせたと批難されたことがあります(そんなことはしていませんが)。私は時間管理テクニックを使う私の生来の性格を用いました。これらのテクニックは私の食生活,投薬,生活を一定にする方法を見つけ出す手助けとなりました。このテクニックだけが物事を予定どおりに進める方法ではありませんが,方法の1つですし,私が行っている方法です。


何が起こるか

何が起こるのか知っていますが,いつ起きるかはわかりません。1年未満~10年が私に与えられた時間の幅です。私は「今日」だけを何とか管理していくと決めています。今抱えている感情や不安と「この1日」だけ付き合っていくのです。

不安の1つは将来何が起こるのかということです。いつでもこの不安を抱えてきています。それで現在,この病気や病気に対する感情とどう向き合うべきかカウンセラーに相談しています。私はいつも抱いてきた「人に対する恐れ」とも向き合っていきたいのです。もはや恐れている時間はありません。こういった感情は病気そのものからやってくると思います。それについてくよくよと考えたくありません。それで計画を書き記すことにしました。この病気の管理の基盤となる計画を持ちたいのです。生来の私の性格にも合っています。


感じるままに感じなさい

感じるままに感じなさい。どう感じるのか他人に言わせないように。それを知っているのはあなただけです。私が言いたいのは,むせたらその音を恥じていいのです。あなたと一緒にいる人も恥ずかしく思うかもしれませんが,それはあなたの置かれた状態を知らないからです。もしくは転倒して人目を引けばうろたえるかもしれません。うろたえてよいのです。

もちろん,自分が受け入れている社会基準に沿って行動する必要はありますが,欲求不満を感じるという感情はあなたのものです。他人はあなたが部屋にいて水が用意されていれば,単に肉体的なニーズが満たされているというだけであなたはご機嫌だと思うでしょう。

流れに身を任せなさい。周りの人はただ,できることをしているのだと心に留めておきなさい。私ができるアドバイスは(無駄でしょうが)他人に助け「させ」なさいということだけです。「させる」というところを強調したいのです。私の家族の場合は,かれらが助けてくれると期待したり手助けを望んだりしても無意味です。あなたはただかれらに「させる」べきなのです。

また,あなた自身が支援団体に入るか,あるいは必ず介護者が支援団体に入るように計らうのもいい考えです。私はよい部分だけを考えるようにしてきました。介護者には悪い部分も読んでもらいますが,知る必要のあるところだけを話してもらいます。この場合は,信頼がいちばん大事です。これが最新情報を知り,この病気の患者を気に掛けている人たちと接触をとり続けるうまい方法なのです。