パーキンソン研究所(カリフォルニア州、サニーヴェイル)
支援コーディネータ、キャロル・マーチ

By Carol Marchi
Outreach Coordinator
The Parkinson's Institute
Sunnyvale, CA

この文章はPSP協会(Cure PSP)のニュースレター『PSP Advocate』(Vol.8, No.3とVol.8, No.4)に掲載されたものです。
翻訳:Fumihiko Akamine(赤嶺文彦)

だれかの介護者であるということは、それ自体非常に価値のあることです。運がよければ、介護を受ける人はあなたがしてくれたことすべてに心から感謝し、愛情をもって応えてくれるでしょう。自分が介護している相手に、できる限りのことをしてあげられていると感じるわけです。

すべての主要な宗教的信仰の教義と同様に、私たちが持っているユダヤ教とキリスト教に共通する倫理も、世の中をよりよくするために、ほかの人のために何かすることを説いています。ほとんどの人がそう信じているように、私も私たちは、ほかの人のためによいことをするために生まれてきたのだと信じていますし、そうした本来的な要求や目標を追求するとき、私たちは満たされます。私たちは正しい行いをし、加護を受けていると。ときどき、自分が行った介護をほめられることもあり、そんなときは自分があるべき姿に達しているという実感があります。

しかし、介護者であるということは、ときとして困難を伴います。PSP(進行性核上性麻痺)のような人の能力を奪い困惑させる病気の患者さんの介護ならなおさらです。PSPの患者さんは、病気の進行と格闘するあいだ、挫折感、怒り、憂鬱、自責の念に苛まされます。患者さんの人生における願望や夢は根本的に変わってしまっています。歩くこと、着替え、食事、トイレ、会話、といった日々の生活の1つ1つが、毎日新しい挑戦になっていきます。自分が介護している人が、こうした日々の損失に伴って自立する能力とそれに伴った自尊心を奪われるにつれ、私たちの困難も増していきます。愛する者が何かを失うということは、自分も何かを失うということなのです。

私たち介護者は介護を受ける人と非常に密接に関わっているために、介護することで精いっぱいになってしまい、自分の欲求を満たすことが難しいものです。私たちの多くは、自分の欲求を満たすことは自己中心的な行いに等しく、ともかく自分の欲求なんて大切なことではないと考えてきました。受け取ることより与えることのほうがはるかによいことだとされています。しかし、自分の欲求を満足させることなく与えるだけの人は、燃え尽きてしまうだけでなく、怒りっぽくなったり、病気になってしまうのが現実です。

長年にわたって他人の欲求を優先し続けることは、体力を消耗します。薬を与えたり、お医者さんの予約を取ったりして、同時に家事をこなすといった生活を送っていると、精神的にもまいってしまいます。介護する人の多くは、以前は相手が分担してくれたこと、たとえば請求書の支払いや、家の修理、庭の手入れ、洗濯、料理、掃除などといったことを、今はすべて自分がしなければなりません。このような変化によって2人の関係は変わり、おそらくそれは今まで経験したことのない関係でしょう。特に主に家を引っ張ってきたほうが介護を受ける立場になった場合は、その変化は顕著なものになるでしょう。性的、精神的な関係において、「以前はこうだったのに」というその落差は、夫婦関係の当事者である両者にとってつらいことです。自分の親を介護している大人の介護者は、以前自分を育ててくれた人に対して親のような役目をするという逆転した関係の中で、動揺を伴う役割を経験します。

私たちは人間です。ですから介護されている人が、ものごとをモタモタとやったり、以前は容易にできていたことができなかったりすると、ときどき我慢できなくなってしまいます。そして罪悪感を感じてしまいます。なぜなら、私たちは病人ではなく元気なのですから、現実に感謝し、何でも辛抱強く我慢できなくてはいけないと思ってしまうからです。たぶん私たちは、通常の老化や自分自身の深刻な病いによる痛みのために、元気のある状態ではないのかも知れません。

また、私たちの多くは息つく間もなく一心に介護しているという現実もあります。これは現代のアメリカ人のほとんどは、手を貸してくれる大規模で愛情のある複数世代の家族が身近にいるわけではないからです。介護者の中には「2世代を同時に介護しているサンドイッチ世代」と称される人もいます。

こうした状況下では、介護者は身も心も疲れ果ててしまうでしょう。私たちの多くは、緊張とストレスのサインが自分の体から発せられていることに気づくでしょう。たとえば胃の痛み、頭痛、肩こり、顎に力がこもるといったものです。こうした体の変調は、危険信号の可能性があります。つまり、自分のおかれた状況が手に負えないものになりつつあることを示す赤信号だということです。

物ごとに集中できなくなったり、やる気が失せたり(たとえそれが楽しいはずのことであっても!)、またよく眠れなくなる(不眠症の相手を介護するときに生じる問題に加えて)のは、うつ状態を示唆している可能性があります。このうつの状態というのは、患者と同じくらい一般的に介護者に見られることです。私たちはみな、うつ状態は処置できる病気だと耳にたこができるくらい聞いてきましたが、介護者は自分のうつの症状を否定したり、それを自分の医者に話したがらない傾向があるようで、適切な薬をもらいそびれることがよくあります。

運動が気分をよくする方法の1つである、ということは知っています。しかし同時に、運動の予定をフルタイムの介護生活に組み込むことがどんなに難しいかも知っています。しかし、それでもやはりほんの少しでも運動することは、まったくしないよりはよいのです。たとえ、それが短い散歩や、テレビの体操番組、または、たいていのビデオ屋さんに置いてあるビデオを用いての運動であってもよいのです。ビジュアリゼーション(訳注:瞑想法の1つ。たとえば自分が美しくて平和なところにいるように想像してリラックスしたりする方法)や、徐々に筋肉をほぐすような内容(ヨガのシャバーサナで足から頭までリラックスしていく方法など)のカセットテープは、忙しすぎる心を静めたり、怒りや欲求不満を解消するのに非常に効果的である場合があります。

健康管理の専門家によれば、介護者が物ごとを否定的に考える癖をもつと、それはフラストレーションの原因の1つになりうるということです。この概念については、参考図書の紹介などとあわせて、次号でもう少しくわしく説明してみたいと思います。しかし、ここでは介護者の方々に、自分の消耗を警告する初期の赤信号に耳を傾けること、そして愛する相手を介護するのと同じやさしさで自分に対してもケアし続ける(またはこれからし始める)ことをお勧めしたいと思います。

介護者のあなたと同じ思い、痛み、欲求不満を抱え、またあなたと同じように愛する人に最大限のことをしてあげたいと願っている人の経験を参考にできるように、下記の本と記事を紹介しておきます。
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BOOKS ESPECIALLY FOR CAREGIVERS
介護者のための本:
* Carter, Rosalynn. Helping Yourself Help Others. New York: Random House, 1994.
(カーター婦人が、孤独感や燃え尽きといった、介護の精神的な要求をとてもうまく論じています。)

* Colgrove, Melba, Ph.D., Harold Bloomfield, M.D., and Peter McWilliams. How to Survive the Loss of a Love. Los Angeles: Prelude Press, 1991.
(著者は、予想されるまたは実際の人間関係の喪失、つまり命の喪失と期待の喪失を論じています。感動的で繊細な文章の中に、散文や詩が散りばめられています。)

* Mace, Nancy L. and Peter V. Rabins, M.D. The 36-Hour Day. New York: Warner Books, The Johns Hopkins University Press, 1981.
(基本的には、アルツハイマー病の患者や記憶喪失の患者を介護する人のためのガイドですが、ほとんどの介護者が共有している心配ごとに対するすぐれた提案と、家計を助けるいくつかのよいアイデアが著されています。)

* Niebuhr, Sheryl and Jane Royse, M.D. Take Care: A Guide for Caregivers on How to Improve Self Care.
Community Care Resources, Amherst H. Wilder Foundation, St. Paul, MN, 1989.
(平易な文体で励ましを与える短い冊子で、ストレス対処法を含めた、介護者のための自己ケアプログラムを概説しています。)

* Strong, Maggie. Mainstay: For the Well Spouse of the Chronically Ill. New York: Penguin Books, 1988.
(ストロング女史が、しばしば見過ごされ、ときには誤解もされる元気な配偶者が必要とすることについて語っています。女史は、介護が支払う精神的な犠牲への深い理解を見せています。)

* Sumners, Caryn, R.N., ed. Inspirations for Caregivers. Commune-a-Key Publishing, P.O. Box 507, Mt. Shasta, CA 94067, 1993.
(カルカッタのマザーテレサから9歳の子どもまでの、さまざまな介護者からの意見が、介護の報いと困難に対する深い洞察を与えています。)

* Caregiver Series. Impact Publishers, P.O. Box 1094, San Luis Obispo, CA 93406.
Heath, Angela. Long Distance Caregiving: A Survival Guide for Far Away Caregivers.
Smith, Kerri. Caring for Your Aging Parents.
Susik, D. Helen, M.A. Hiring Home Caregivers.
Walker, Susan. Keeping Active: A Caregiver's Guide to Activities with the Elderly.
For orders only, call 1-800-246-7228.


 

パートI(PSP Advocate, Vol.8, No.3)では、PSPのような病気を患っている患者とその介護者が共有する困難があるということを確認しました。患者のできることが日々減っていくなかで、愛する介護者は肉体的な介護と精神的な援助に疲れてきます。たとえ忍耐力があり前向きな考え方ができる人でも、日々のケアに押しつぶされた多くの介護者は、自分自身の精神的、肉体的、感情的健康、そして魂の健康をないがしろにしています。

残念なことですが、長期に及ぶ介護に伴うことの多い怒りを否定する人もいます。最初はPSPの容赦ない進行に対する怒り、そしてときには助言してはくれるが本当の助けにならない家族や友人に対する怒り、そして動作が遅くなり、ときには人間関係をうまく保てなくなる患者に対する怒り、そしてついには、仕事に耐える力のない、そして自分の基準に追いつけない自分自身に対する怒りです。

世界は2種類の人に分けられるとよく言います。コップが半分は満たされていると見る人と、半分空だと見る人です。幸せな状況の中にあってもなお、諺にもあるように不快なことが終わるのを待つ傾向がある人がいる一方で、痛みの真っただ中で喜びと心の安らぎを見出す人もいます。しかし、すべての人は、その人の人生観に関係なく、長期にわたる困難な状況に直面すれば否定的な考え方を始めるものです。

安易な回答をするつもりはありませんが、ここParkinson's Institute(パーキンソン病とPSPのような動作障害の病気の病院、研究機関)の介護者のためのクラスでは、長期にわたる介護に伴う否定的な考えに対処するいくつものこつを教えてきました。どこから出てきたのか気がつかないほど反射的な、いくつかの無意識で自然発生的な考えで、怒りや欲求不満、恐れ、絶望といった感情に火がつくことがあります。

この方法論、そしてこのような否定的な考えのパターンに対処する方法は、David Burn著 『Feeling Good:The New Mood Therapy』(下記図書目録を参照)を参考にしたものです。多くの介護者が、自分を元気づけたり否定的な考え方にとって代わる別の考え方を持つために、David Burn氏のアイデアはとても役に立つと認めています。少し例をあげてみましょう。

車いすに乗った男性が、立ち上がってはいけないと言われていたときに立ち上がります。その彼を主に看護している妻は、だれの手助けも借りずに車椅子から立ち上がろうとするのは倒れるかもしれないからとても危険だと、何度も彼に説明したことがあります。しかし、彼は立ち上がろうとします。そして倒れます。彼女の心に真っ先によぎるのは、彼が大変なケガをしたのではないかという恐れです。次に感じるのは、せっかく注意してあげたのに彼がそれを無視したという怒りです。そして最後には、状況がもっと悪くなったという落胆の気持ちがこみ上げてきます。

彼女が無意識に考えたことは、以下のようなことのうちの1つでしょう。
「彼はいつもこうしてしまう」
「彼は私の言うことをちっとも聞いてくれない」
「きっと彼はわざとやったんだ」

このような反応は、どれも人間の危機に対する人間らしい思いですが、これが現実に見えても何かの助けになるわけではありません。危機が去って、彼が無事車いすに戻ったら、介護者である彼女は状況をもっと冷静に見ることができるかもしれません。そして、あのような無意識の思考に対していろいろ考えて、当てはまりそうな何かを思いつくのです。
たとえば、以下のような質問を自分に投げかけてみるといいでしょう。

「本当に彼はいつもこうするの? それともそう見えるだけなの? このようなことがよく起こるのは、だいたいどんなとき?」
「彼が私を困らせるためにそうしたと確信もって言えるの? それとも私はただ疲れていただけ?」
「彼は本当に私の説明や忠告を憶えているの?」
「私たちの状況は悪化するかもしれないけど、何とかやってけるわ。そうしなくちゃいけないから」

Burns氏の本には、人が困難な状況に対処する際に役立つすばらしい内容が、単純な結論を出そうとはせずに書かれています。彼は、人を無力にする、役に立たない思考パターンに対して注意するように訴えています。たとえば、「一般化しすぎる見かた」(物ごとをある決まったパターンでしか見られない)、「何でもすべきこととして考える癖」(こうすべきだというだれかの考えで、現実を見ないで自分を動機づけようとする)、「心のフィルター」(細かい点を否定的にあげつらって、それに固執する)などですが、そのほかにもたくさんあります。この本をもっとも有効に活用するためには、グループで読むのがよいでしょう。またこの本は、しばしばうつ状態の人に与えられ、自尊心を回復し、自分自身の中にもっと前向きな要素を見出してもらうために用いられます。

人の心のあり方と同じように重要なのは、精神的、感情的健康のためのケアです。反射的な感じかたに関するいい質問があります。「私を生き生きとさせてくれるものは、何ですか?」という問いです。それは孫が遊びに来てくれることですか? 10分間1人でいられること?30分間好きな作家の本を読むこと?20分のお昼寝?美容院に行くこと?マッサージ?友だちとの昼食?それが何であれ、患者と介護者の双方が、毎日の中で自分を「生き生きとさせてくれる何か」を見つけようと試みることは絶対に不可欠なことです。

また、自分たちに何が必要かを一緒に考えるためになるべく直接コミュニケーションをとることも重要です。たとえ、望むものが手に入らない可能性があってもです。人の心は単純に読めるものではありませんし、そうしようとすると結局はだれかを怒らせてしまうことになりがちです。もし成人になった子どもやほかの家族、または友だちが何か手助けできることはないかと尋ねてきたら、明快に夕飯にごちそうを届けてくれるように頼んでみなさい。何かを解決したり助言したりする必要なく、ただ自分の話をよく聞いてくれることをお願いしてみる。また、外出するか、ただ何もしない時間を持つために、1週間に2~3時間の手助けを求めなさい。私たちの多くにとっては、自分が何を必要としているかを思いつくのすら恐らく難しいことでしょう。しかし、本当の手助けの申し出を見逃さないほうがいいのです。

同じ問題に直面している人の集まりであるサポートグループは、はかり知れず貴重なものです。特にPSP患者の介護者にとってはとても貴重な存在です。ときどき、ほかの人たちと会うことは、役立つヒントのみならず誠実な気持ちをみなで共有するチャンスを得ることでもあります。もし外出してミーティングに出ることが不可能ならば、SPSP's Communicators' Listで電話でお話できる相手を探してみてください。どんなことがあっても自分の状況を理解してくれる人とのコミュニケーションの窓は開けておいてください。

詩人E.E.Cummingsは私たち皆に、特に介護者のみなさんにメッセージを書き残してくれました。「愛をほかのことより少し注意して扱いなさい。」そしてこれは、他人と共有する愛と同じくらい自分自身を愛し、ケアすることにもあてはまるのです。